私が小学生の1972年頃、父と神戸港によくハゲ掛けに出掛けました。52年前というとずいぶん昔のように感じますが、父の釣り竿作りの歴史からすれば後期にあたります。
戦中戦後は食糧難で自分で魚を獲るのが当たり前の時代、父が竿師に弟子入したのも食料を得るための手段であった部分もあったかと思います。父の残した手作り竿には用途がわからないものも多く、わかってるものは一緒に釣りに行き使った道具のみ。
今回、ハゲ掛け竿について記事を書こうと思います。当時よく使ってたハゲ掛け竿はもうなく、予備で作ってた竿が残ってるくらいです。
穂先のない竹竿の先に輪っかがついてて、途中からソリッドの穂先が出てて、感度の良いソリッド穂先でアタリをとり、合わせを入れるとソリッド穂先が輪っかの下で止まることで、頑丈な元竿の威力で掛け合わせれる仕組み。これをタコ竿の様な硬い竿でやると繊細なアタリが取れず、逆に柔らかい穂先の竿でやれば掛バリの水中抵抗で合わせが効かないので実に理にかなった仕組みです。
仕掛けは現在の食わせ用の仕掛けとも、随分後で出て来た傘の骨組みのような掛バリとも違うタイプでした。傘の骨組みの様な掛バリは死角が少ない反面、水中抵抗が大きいので自分はあまり好きではないです。後ほど手書きイメージをUPします。
サシエにカラス貝やアケミ貝を刺してそれをつつきに来たカワハギを下の2個ついたイカリ針で掛けるというシステム。ウマハゲやマルハゲが面白いように掛りました。
神戸港は垂直護岸になっててサビキしてる人が殆ど。それに回遊してきた28cm位のサバが掛り周囲とお祭り騒ぎ。サバの生き腐れと言って当時もサバは敬遠されてましたがカワハギと一緒に煮付けにして美味しく頂きました。
ずいぶん後になり同じ仕組みの簡易的ハゲ竿が釣具メーカーから発売されてましたがあれは竿尻が短く、やはり竿尻は長めで肘で固定できるくらいが力が入り使い勝手が良く、筏のチヌ竿も相手がチヌならよいがボラ専門に賭ける場合は竿尻に肘当てを装着した竹竿を製作していましたね。
塗装はカシューを重ね塗りして研いで模様を浮き出させるといった技巧が施されてました。
右の竿はリールシートが下付きでガイドが下、横、上と捻れて通すようになっている。もしかしたらスピニング用かもしれない。
肘当て